Day41(人生を導く5つの目的・41日目)


 人生を導く5つの目的を読み終えたとき、感動とともに「ではこれをどのように実生活に適用していけばいいのだろうか・・・」という疑問が湧いてくる。個人として、スモールグループとして、そして教会として、どんな「第41日目」を踏み出せばいいのだろうか。

 そのヒントを与えてくれるのがピース・プラン(The P.E.A.C.E. PLAN)だ。ピース・プランとは、名の知れないごく普通のクリスチャンたちが、神の召しに応答し、御霊に動かされ、全世界に広がる教会のネットワークを通じて「福音未到達地域、 腐敗政治、極度の貧困、エイズをはじめとする疫病、文盲及び教育の欠如」という世界を脅かす“5人の悪の巨人”に立ち向かっていく草の根運動のことだ。
 
 ここで、ピース・プランが国外宣教だけに焦点をあてているのではないことに注目したい。ピース・プランの中心的聖句、使徒1:8を見てみよう。

"You will receive power when the Holy Spirit has come upon you; and you shall be My witnesses both in Jerusalem, AND in all Judea AND Samaria, AND even to the remotest part of the earth." Acts 1:8(NAS)

聖霊があなたがたに下るとき、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダとサマリアの全地域、地の果において、私の証人となるだろう。使徒1:8(NAS)

 ここで注目して欲しいのが、"AND"だ。これは、神の働きが、「一つの地域が終わったら、次に」という具合ではなく、同時に行われていく、ということを示 している。自分の住む町(=Jerusalem)、国(Judea)、国内の異文化圏(Samaria)、その外の世界全て(the remotest part of the earth)に対しての働きが同時に進められていくのだ。

 ここで、ピース・プランの日本における実例として、NPO法人希望の車椅子(理事長:ペナー・メアリ氏)の取り組みを紹介したい。

 希望の車椅子には、日本全国の病院や個人から車椅子の寄付が届き、それをボランティアの皆さんの手で洗浄/整備し、車椅子を必要としている海外の人々に送り届けている。
 


 車椅子の洗浄/整備を行うクリーニング・デイの会場の一つである聖書キリスト教会には、ボランティアの皆さんが毎週集まっている。定年退職をされている方、自転車いじりの好きな中高年の男性、この活動に感動し大学の講義の時間割を調整して参加している学生、朝日新聞の掲載記事を読んでこの活動を知った近隣の方などが、実に楽しそうに、そして熱心に車椅子の整備を行っている。

 同教会の牧師・尾山キャシー師は「この素晴らしい活動をサポートすることができ、とても嬉しく思っています。ノンクリスチャンの方も多く参加されていて、素晴らしい働きです。できればクリーニング・デイに、クリスチャンの方も多く参加して欲しいと思っています。」と話す。聖書キリスト教会で開催されているクリーニング・デイに参加している方の多くがノンクリスチャンで、クリスチャンは数えるほどしかいない、とのこと。

 地域の人々、そして海の向こうの人々に仕えることのできるクリーニング・デイは、神の5つの目的に生きたいと願うクリスチャンにとって最高のDay41の機会と言える。

 また、整備された車椅子を運ぶことのできる協力者も必要としている。航空各社のチェックイン荷物の重量・個数制限が厳しくなる中、宣教旅行に赴く際に車椅子を持っていくことは決して簡単なことではない。しかし、今回フィリピンへの車椅子2台の運搬を引き受けたグローカル・ギフト・ネット(GGN)代表の斎藤氏は、「クリーニング・デイの参加者の皆さんに『頼んだよっ』と肩を叩かれました(笑)」と嬉しそうに話す。

 東南アジアの貧しい子どもたちにギフトバックを届ける活動を行っているGGN(旧GGM)は、希望の車椅子と協力関係にある。GGNもまた全国の企業や個人から寄付された文房具・玩具の仕分けをボランティアの手によって行っている。ノンクリスチャンとの接点が多く、ボランティア活動の中で神様の話をノンクリスチャンから聞かれることも少なくないという。

 今、国際支援活動は多くの日本人の心を捉えている。これらのボランティア活動は、ノンクリスチャンとの交流を持つための最高の機会と言える。

 ここでもう一度人生を導く5つの目的の第38日目の一節を読んでみたい。「主イエスは弟子たちに、彼らのコミュニティー(エルサレム)、国(ユダヤ)、他の文化圏(サマリヤ)、そして他の国々(世界中のあらゆる所)に福音を届けるように言われました。全ての人が宣教師の賜物を持っているわけではありませんが、すべてのクリスチャンが四つのグループすべてに対して、それぞれのやり方で宣教に加わるように召されているのです。あなたは、使徒の働き一章八節に生きているクリスチャンでしょうか」(P396)。




<参考資料>